ハンコさんのつぶやき(2004 - 2005年)

01: あるホテルへの疑問...                  
(2004年6月4日記)ハンガリーの旅行代理店を経営する友人から、日本旅行のガイドして欲しいという申し出がありました。これは大変に嬉しい事。私と妻は早速、準備に取りかかりました。 少しでも予算を軽減させる為に、あの手この手で札幌の旅行代理店の方と打ち合わせをしています。(近畿日本ツーリストとJAL TRAVEL北海道のご担当者には、本当に感謝しております・・・) そこで、ホテルを何とか節約しようと、某ホテル(全国展開で、すすきのや北大前なんかにあるビジネスホテルです)が部屋も清潔で便利が良く、しかも安いということで、横浜の宿泊は某ホテルにしようと考えました。 6月4日、空室状況を確認する為に、妻が横浜桜木町の某ホテルへ電話をしました。希望の部屋を用意できるということで予約を申し出ました。ここまでは普通の予約と一緒です。ところが・・・「(日本在住ではない)外国人のお客様は、必ずパスポートのコピーを頂戴致します」と言われました。電話のやりとりをしていた妻は、冷静ですが怒っていました。予約をせずに、すぐに某ホテルの東京本部へ連絡をして、パスポートのコピーが何故必要なのか明快な回答を求めました。妻曰く・・・自分が外国へ行ってそんなことされたら、絶対にその場で文句を言います。ヨーロッパ人は人権意識高いですから、納得できる理由を説明して下さい。もし、あなたが外国でパスポートのコピーを取ると言われたらどうでしょうか?世界中何処でも提示を求めらたら応じます。当たり前のことですから。でも、コピーはどうでしょう?それから、某ホテルの男性の担当者から折り返し電話が入りました。担当者曰く・・・パスポートについては、テロ事件、SARS問題などで、警察から宿泊者を追跡調査できるよう、住所を明記させて欲しいと指導されている。全国の当ホテルでは、パスポートのコピーを添付することで処理を行うようにした。他のホテルがどのような対応をされているかは分かりません。でも逆に、身元の分かるお客様が宿泊されているので「安全、安心なホテル」とご理解頂きたい。妻は、丁寧にお礼を述べて電話を切りました。「理解できない言い訳だわ」彼女は呆れていました。「納得できない。他のホテルでは必要ないのに。宿泊する日本人の身分証明書はコピーをとらないのに、どうして外国人だけ?」 妻は憮然としていました。皆さん、どう思います?

02: 恐るべし…日本の“お引越し”

私は約2年間、自宅があった豊平区は月寒から自転車で中心部へ移動していました。北大や語学教室へ行くときも豊平川の河川敷を通り、混雑した街中を抜け、ときどき交差点で車に接触しそうになりながら通い続けました。妻には「交通費の節約より命が大事!自転車は止めてぇ!」と、懇願されていました。私は節約もそうですが、なにより運動になるため自転車を利用していました。でも、さすがに忙しいときは堪えます。そこで、もっと効率よく時間とお金を活かすために引越しを考えるようになりました。2月くらいから妻と時間の合間をみて不動産会社へ足を運んだり、インターネットを活用して物件を探しました。しかし、現地で物件を見ても失望ばかり。一番驚いたのは、床が斜めになっていたり、内装に手がつけられていなかったりする物件があったことでした。それでも4~5万円の家賃と聞いて驚きは倍増です。不動産会社の担当者は「もっと予算を上げればそれなりの所を紹介できますが…」と言います。これがヨーロッパなら、決して誰も借りないような物件に4、5万円の家賃ですから、信じられない話です。“人並みの家”に住むためには、もっと家賃を支払わなくてはいけないのです。おまけに“敷金、礼金、仲介手数料”なんて、引越しをするために失うお金の多いことが何より許せません。ヨーロッパは家賃のほかに何も請求されません。おまけに保証人なんて必要ないです。日本では保証人が必要なので、これにも驚きでした。保証人に何の意味があるのでしょうか???ため息をつくこと数百回…予算を検討し、情報を集め、いろいろ検討し、やっと7月某日に中央区へ引っ越しました。新居には満足ですが、どうして日本の引越しにはこんなにお金がかかるんでしょう?妻曰く「北海道はまだましよぉ。これが東京となると、更に保証金というのがあるの。もっとお金がかかるのよ」引越しの影に「ビンボウ神」あり。恐るべし…です。

03: 大通のビアガーデン

(7月29日 記)私は、7月14日から旅に出ていました。旅といっても、ハンガリーから来日した団体を案内するための仕事です。初めてハンガリーからの旅行者を受け入れ、通訳兼添乗員の10日間程の旅行で、大阪、奈良、京都、横浜、沖縄、東京という、夏真っ盛りの場所へ赴いたわけです。ハンガリーは今夏、どうやら冷夏のようで、到着したお客様は「日本の暑さ」によろめいていました。この旅行で一番ウケたのはどこでしょう?沖縄が文句なしで大人気。次が箱根と芦ノ湖、そして横浜の中華街(重慶飯店)とローズホテルでした。普通は「京都、奈良」と想像しがちですが、お客様のご意見は…これは日本のみなさんには良い感じはしないと思いますが、あえて書きましょう。皆さん、口々に「(旅行に)奈良と京都は必要ない」「どうして仏像が汚れているんだ?どこを見てもホコリだらけじゃないか」「寺の中はどうして撮影禁止が多い?」「どうして(お寺の中で)入場できない場所がある?」などなど…大変に不人気。意識の違いに驚かされました。なんだかんだと言いましても、あっという間に旅行は終了。皆さんを成田で見送って札幌へ戻りました。そうしたら嬉しいことに、始まっていました!大通のビアガーデン!翌日、旅行が無事終了した事を祝して、妻と二人でビアガーデンへ行きました。平日にもかかわらず、やはり暑さを忘れるにはビールなんでしょう。多くの人が賑やかに美味しいビールで乾杯していました。妻と色々な会話を楽しみながらビールを飲んでいたところ、会場の真中のステージで何やら準備が始まりました。そこへ、米軍の制服を着た人やプレスリーのような人が現れました。彼らは「てす、てす、てす…わん、つぅ」と、マイクに向かって暗号を囁きます。一人が終わると、仲間が次々と同じ暗号を言います。やがて暗号の確認が終わると、ケタタマシイ音が響きました。なんとそれは、ロックンロールの演奏でした。彼らには申し訳ないのですが、騒音で妻と会話ができなくなりました。お客様には演奏を楽しんでいる人もいましたから、それはそれで良かったのでしょう。でも、会話を楽しめない私たちは席を離れました。そして静かな「10丁目 世界のビール」広場へ移動。ここは他と比べて地味でしたが、とても心が和みました。なにより「カールスバーグ」が気に入りました。直接オーダーに行き、サーバーの「お兄さん」に「たくさん注いで下さい」とお願いすると、ヨーロッパと同じようにたっぷり注いでくれました。おまけに、競輪ゲームで妻の予想が的中し、記念品まで頂きました。さすが「世界のビール」。ひと味違います。

04: 「亀」との出会い、そして…

(8月14日 記)昨年、札幌の劇団TPS「シアタープロジェクトさっぽろ」との出会いがありました。原題『亀もしくは居酒屋の気違い』というハンガリー人作家・カリンティの作品を俳優の斎藤歩さんが脚本、演出をおこない「亀もしくは…」と題して、舞台公演を行ったことがきっかけでした。ハンガリーつながりということで、ある日突然、劇団から連絡をいただきました。我々の協会も発足したばかりで、本格的な活動もこれからという時期でした。TPSからの連絡は、本当に嬉しい出来事でした。早速、「亀、もしくは…」の舞台を妻とともに鑑賞しました。感想は…もちろん、とても面白い!笑ったり、感激したり。時間も忘れるほど楽しめました。これは日本だけに留めておくのは勿体無い!何とかハンガリーへ繋げる事はできないだろうか?上演終了後、そんなことばかり考えていました。そこで、斎藤歩さんに脚本をハンガリー語に逆翻訳したいと申し出ました。唐突な申し出にもかかわらず、斎藤さんは快諾して下さいました。早速、私は仕事の合間を縫って翻訳作業を開始しました。「仕事の合間を縫って…」これは結構、困難な事でした。休日に翻訳をと思っていても、その休日がなかなか取れないので、ある時は深夜、ある時は朝方、短い時間に集中して翻訳を行いました。作品が素晴らしいので、翻訳は全く苦になりませんでしが、何より時間を作ることが最も大変でした。そんなある日、知人の一人に「無料で翻訳しるんですか?信じられない!なぜ翻訳料を請求しなんですか!?」そう言われました。しかし、私は自分から勝手に翻訳を申し出ただけで、お金のことは考えてないと答えまた。「何故!?」これは、他の友人たちにも言われました。何故なのか…「亀もしくは…」を観て、私は素直に感動しました。この作品には、原作を遥かに超えた面白さがあるからです。だから「ハンガリーにも伝えたい!」率直にそう思っただけなのです。それに、協会を発足した時、私には夢がありました。民間レベルでの“文化と芸術の交流”です。偶然の巡り会わせが夢の扉を開きました。今、この逆翻訳は、ハンガリーの小都市にある劇団の手へ渡りました。もし今後、斎藤さんに翻訳を依頼されたなら、私は何度でも無償で受けたいと、本当にそう思っています。ひとつの出会いに感謝を捧げて…

05: 赤ちゃんウォンバット~ 大自然の誇り

(8月22日 記)写真の小さな動物は“ウォンバット”というオーストラリア産の有袋類の赤ちゃんです。この前偶然、YAHOOドイツのホームページでこの写真を見つけました。その記事によると『赤ちゃんウォンバットのお母さんは車に轢かれて死んでしまったが、奇跡的にも赤ちゃんがお母さんのポケットの中で生き残っていた』というものでした。小さくて可愛いウォンバットの赤ちゃん。ちゃんと目もある、耳もある、足もある…無いのは記憶だけ。赤ちゃんは確かに生きていますが、自分の身に降りかかった災難について何も知りません。お母さんウォンバットは、人間が運転する車に轢かれて死んでしまいました。そして今、生き残った赤ちゃんウォンバットは人間の手で育てられています。でも、赤ちゃんウォンバットは何も知らないのです。切ない話です。ポケットの小さな世界から這い出して、この子がこのまま大きくなっても、自分のお母さんの命を奪った人間に対して、恨みや憎悪を抱くことはきっとないでしょう。私はドイツ語のYAHOOを開けるたびにこの写真を見ました。大自然の完璧な創造物。大自然の誇り。小さな体にしっかり命を蓄えて、懸命に生き抜こうとしています。私はふと、大自然の中の人間はどうなのかと考えました。今日も人間は世界のどこかで戦争を興し、町や自然を破壊し、爆撃によって罪の無い市民の命が消えていきます。親の死体のそばで、生き残った子供が泣いている写真もたくさんあります。私の頭には、その子供たちと赤ちゃんウォンバットの事が二重写しに浮かんできました。同時に、一つだけ違いがあることに気付きました。それは、人間の子供には記憶があるという事。彼らは、自分の親がどうやって命を失ったのか記憶しています。敵が誰なのか、何のためなのか、成長しても決して忘れることはないでしょう。むしろ成長とともに悲しみと怒りと、ある時はそれが憎悪となって生命に刻印されていくでしょう。侵略者の国から慈善協会の人々が来て、孤児たちに食べ物と洋服を与え孤児院を建てても、彼らは忘れないはずです。赤ちゃんウォンバットは成長して、いつか飼育した人間の手を離れ、動物園に行くかもしれません。もし、お母さんウォンバットの命を奪った人の子供が動物園に来たならどうするでしょう。多分、ウォンバットは、その子から餌をもらい、お互いに良い友達になることができるでしょう。記憶のある子供達、記憶のない赤ちゃんウォンバット…どちらが幸せだと思いますか?

06: 金メダル剥奪

(8月29日記)今回は「ハンコさんのつぶやき」ではなく「妻のつぶやき」をさせていただきます。どうぞお許しを…ハンマー投げで金メダルを獲得したハンガリー代表ヤヌシュ選手のドーピング疑惑のニュースは皆さん既にご存知でしょう。この数日かなり話題を呼んでいました。夫の故郷ハンガリーのことですから、私もずっと注目していました。それに私は室伏選手のファンでしたのでとても気になるところでした。アテネの地で愛するハンガリーの選手と、ずっと応援していた室伏選手が金、銀のメダルを受け表彰台に並んだ光景を観て熱くなった私でしたが、それも今夜、虚しく打ち破られてしまいました。IOCの聴聞会に欠席したアヌシュ選手の金メダルが剥奪されてしまったのです。この件に関しては、日本の多くの方が「潔白なら再検査を受けないのはおかしいのでは?」「怪しいから逃げているに違いない」と思っているのではないでしょうか?私はそうは思いません。この件で夫は言いました。「私がもしもアヌシュ選手と同じ立場なら、潔白でも決して再検査に応じたりはしない。犯罪者のような扱いは屈辱的だと、彼と同じ事を言うだろう。これはハンガリー人の誇りの問題だから」ドーピングで失格になったハンマー投げの選手とアヌシュ選手のコーチが同じだったという理由で再検査をする必要があるのでしょうか?競技後の検査ではドーピングの反応なしという結果があるにもかかわらず。確かに現地では様々な情報が流れたかもしれませんが、私の心境は複雑です。「スポーツはゲーム。勝ったときは誰もが嬉しいし、喜ぶもの。ハンガリー人も同じ。でも、ハンガリー人も他の民族も金メダルを取った事はそのうち忘れてしまうだろう。夜が明ければいつもと変わらない一日が始まる。日常が待っている。それが人生。しかしハンガリー人は、金メダルを取ったことを忘れても、奪われたことを忘れないだろう」そう語った夫の言葉を聞きながら、私はふと、室伏選手がどんな表情で金メダルを受け取るのか考えてしまいました。

07: 金メダル

(9月26日記)前回のつぶやきでハンマー投げのアヌシュ選手の話しをしました。その後、室伏選手はIOCから無事に金メダルを授与され、日本でも「おめでとう」ムードに包まれたようです。私も室伏選手がセーケイ人の血を受け継いだ混血(ハーフ)だと知り、驚きを感じると共に、親近感さえ抱きました。(日本の国内ではルーマニア人の血を引くと報道されていますが、民族的系統から具体的に見るとセーケイ人。セーケイはハンガリー人の祖先の一種族です→詳しくは当HPハンガリーの歴史参照)一方、金メダル剥奪をされたアヌシュ選手は、ハンガリー国内では英雄として人々から今も支持を受けています。大半のハンガリー人は彼を信じ、ウィーンへ再検査に行かなかった彼の心情も深く理解しています。日本人から見れば、潔白ならウィーンへ行くべきと、思うでしょうが、ハンガリー人にとってそれはやはり屈辱。長い歴史をひもとけば、その理由は明白です。本当の金メダリストは誰なのか…それは神様だけが知ること。日本人もハンガリー人も言い分はそれぞれ。マスコミ報道から意見は多種多様でしょう。でも、意見は意見でしかないのです。あとの審判は神にまかせるのみです。もうどちらが本当の金メダリストかはさておき、何より問題なのは、そもそも健全なスポーツの祭典オリンピックにおいて、何故ドーピングなどというものが毎回問題になるのかです。限界を破るために肉体を改造し、筋力を増強させるために薬物をも用いる。巷では、次のオリンピックまでには、DNAへ作用し、ドーピングにも影響しない薬物が登場するとささやかれているようです。国力を誇示するように、各国が必死になってメダル争奪をしている。選手のひたむきさ、スポーツにかける情熱には確かに感動します。それぞれにドラマがあります。しかし、オリンピックの背後に純粋なスポーツの世界が本当に存在するのだろうか?と考えてしまう今日この頃です。経済的に強い国の選手はやはり優位です。恵まれた環境、設備、優れたコーチ陣と、何でも整えることが可能。戦火の絶えない地域の選手や、貧しく経済力のない国の選手はどうでしょう。頂点を極め金メダルを手にすることは、スポーツをする人間にとって最大の喜びに違いない。しかし、人生で真金のメダルを手にするのは、国の豊かさには無関係人生の金メダリストになることは誰にでもできる。そう思うのは私だけだろうか。

08: 温泉…誰かに見られてる!?

(9月26日 記)私には日本で心を奪われたものがいくつかあります。中でも一番ハマッたもの…それは女性…ではなく、温泉!ハンガリーにも温泉は沢山ありますが、日本の温泉には違った魅力があります。男女別々に入るところが少々寂しいですが(ハンガリーでは水着着用で混浴ですから)、大自然を味わいながら露天風呂につかるのが何より最高!一番のお気に入りは登別温泉。妻の実家が登別ですから身近なせいもありますが、泉質が多種で一度に数種類の湯を楽しめます。そして、最近のお気に入りは虎杖浜温泉〈登別との境目に近い〉にある“ホテルいずみ”。日帰り入浴500円で、露天風呂から太平洋が一望できます。雪の降る夕暮れ時なんか美しいです。ここにつかって太平洋を眺めながら、思考を様々めぐらせる…気分はまさに極楽。ただ、札幌→登別と言っても、交通費などを計算するとそんなにしょっちゅう行けません。でも、日常のストレス開放の為に月に何度か温泉につかりたい…そこでこの数年、定山渓をはじめ、市内の温泉巡りを実行。市内の良心的価格の某温泉へは、特に多く足を運んでいました。しかし、私は何となく脱衣所に違和感を覚えていました。今まで利用した温泉では決して感じなかった感覚。ある日、私は脱衣所のある一部分に視線を止めました。「カメラ」です。脱衣所に「防犯カメラ」を発見!温泉を出てから妻にも聞いてみましたが、女性の脱衣所には見当たらないとの事。私は次の週にその温泉へ行き、再び確かめました。やはり間違いなく「防犯カメラ」がありました。好奇心の強い外国人として何も聞かないわけにはいきません。私はフロントの女性にカメラがあるかどうかを質問してみました。答えは…「はい、ございます。盗難防止用として男性の脱衣所のみつけております。女性側にはありません」友人や知人に話してみると賛否両論。別に気にならないと言う人あり、悪用される可能性があるんじゃないか?と言う人もあり。一番の傑作は“「男性専科」の闇市場にビデオが出回れば、女性のものより高値で取引される”という話しもあり、笑えるような笑えないような複雑な心境になりました。「防犯」という一言で何でもありなのでしょうか?防犯カメラも本当に必要な場所にあるのは結構。でも、プライバシーを侵してはいけない常識の範囲があるはずです。

09: ハンコ…轢(ひ)かれる

(10月24日)以前、ウォンバットの交通事故について「つぶやき」に掲載しましたが、すっかりオリンピックに気を取られ、自分が交通事故に遭った話を飛ばしていました。実はウォンバットの記事の後、「轢かれ」つながりで、自分が車に跳ねられた話を書くはずでした。でも、ハンマー投げの騒動で自分のことを忘れていました。そう、私は夏のある日、大学へ向かうため、蒸し暑さに耐えながら、いつものように自転車をこいでいました。ドイツに住んでいたときから、私は交通規則にちょっとウルサイ。私はドイツ同様、ここでも慎重に、交通ルールを守りながら走っていました。その時です!一台の乗用車(バン)が脇から突進してきたのでした。車は自転車の前輪にかかり、私は倒れそうになりましたが、すぐにブレーキをかけ、転ばずに持ちこたえました。が、しかし…悲しいことに、我が「愛車」は前輪がぐにゃりと曲がり、もうスクラップ状態。運転していた人は、すぐに駆け寄って怪我がないかどうか、また警察に届けましょうと申し出てきました。でも、私は警察を呼んでしまったら、余計な時間を取られてしまうのと、彼も何かと面倒になってしまうと思い、それには及ばないと断りました。幸い無傷ですから、私は警察よりも自転車が必要。私の気持ちを察した彼は、私を助手席に乗せると、新しい自転車を買うべく、車を走らせました。それから、医大近くにある老舗の自転車屋で、ぴかぴかの「新車」を手に入れました。彼と私は、お互いに礼を述べ合って別れました。その夜、私は事故の一部始終と、新車を手に入れた喜びを妻に話しました。「それは良かったわねぇ」と妻が言うと思っていたら、彼女はヒステリックになり、「どうして病院へ行かなかったの?事故の後遺症は後から出るのよっ!相手は自転車一台で済んで安かったって思って喜んでいるわよ!」相手の住所と電話番号があるか、妻に聞かれました。しかし、そんなものは何もない。私は事故に遭ったことより、運転手さんの親切が心に残っていました。妻が言った事を「その通り」と、殆どの人が同じ意見だと思います。でも私は、一生懸命車を走らせ、自転車屋さんを探してくれた、あの運転手さんに誠意を感じました。恐らく彼は「自転車一台で済むなら…」とは、その時考えていなかったはずだと、私には思えたのです。日本に来て、人の思いやりに救われ、感謝したことも沢山あります。またその逆もあり、誠意を逆手にとられ、不愉快な思いをしたこともあります。良い人も悪い人も居る。それは世界中どこへ行っても同じ事。ただ、誠意というものは、民族の言語、習慣に関わらず、世界共通だと、深く思える今日この頃なのです。

10: 「豊かさ」について

(10月24日)今夜は久しぶりに、妻と散歩に出かけました。日曜日の大通界隈は静かです。夜空にはお月様がぽっかり浮かんで、とてもロマンチックです。私は妻に、どこかでコーヒーでも飲もうと提案しました。でも妻は「同じ金額でもっと贅沢ができるわよぉ~」と、デザートにケーキとシュークリーム、そしてディナーのための赤ワインと、合計1,000円以内で手に入れ、いそいそと自宅へ戻りました。妻は、解凍していたハンバーグを焼き、野菜を添え、美味しそうな夕食をすぐに用意してくれました。私はワインの用意をして、二人そろって珍しくテレビを眺めていました。そこには、きらびやかな上海の夜景が映し出されていました。二人でゆっくりと夕食の卓につくのは久しぶりです。でも、楽しいはずの夕食が、急に悲しいものになりました。テレビの番組で、中国の都市の豊かさと、農村の貧困、いわゆる貧富の格差の問題について触れていたのです。上海で成功を納めた実業家の子息は、10年間のイギリス留学に約2億円を注ぎ込む予定だという。一方、同じ上海へ出稼ぎに来ている農村出身の子供たちは、上海の公立学校には受け入れてもらえず、中学進学には出稼ぎの両親のもとを離れ、一人田舎へ帰らなくてはならない。また、内陸の貧農の村、中庄村では、900円の教科書代が支払えず、小学校を中退する子供と、数年振りの快挙で村から大学進学を勝ち取った女学生が、8万円の入学金を工面することができず苦悩する姿が映し出されていたのです。900円の教科書代…それは、今夜、私たちが用意したワインとデザートの代金と同じ。8万円の入学金のために、彼女の父親は借金をし、農作業に使っている大事な牛を2万円で売るという。村の村長さんは、貧しい村人に呼びかけ、援助の手を差し伸べた。それでも、貧しい人々が精一杯用意できたのは、わずか1,000円の餞別だった。私と妻は、すぐにこの事をメモに残した。8万円の入学金を支払っても、彼女はどうやって学生生活を送るのか心配だと、妻がポツリと言った。上海で富裕階層の子供たちが通う「貴族学校」といわれるところは、年間の授業料は50万円。その富裕階層の人たちが、この貧しい寒村の子供たちに、自分の利益のほんの少しを分け与えたなら、どれほどの人間が幸せになるのか…少なくとも西洋社会では、寄付という形で、多くの貧しい人々に機会を与える制度は多く存在する。取材したテレビ局のスタッフとクルーは、果たしてこの現状を前に、自分のポケットから幾らかの寄付を申し出ただろうか…そう、私は漠然と考えていた。テレビのチャンネルを回せば、バラエティ番組といわれるものに、多くのタレントが出演している。テレビ局は、ただ笑っているタレントのために幾らギャラを支払っているだろう。このテレビ局は、取材した村人に、ギャラを幾ら支払ったのだろう?私はこのことを明日にでも局に問い合わせるつもりでいる。私と妻は、即座に女学生と村人のために、何かできる道を探ろうと決めた。10年間に2億円をかけて留学しようとする子息より、村人たちに見送られながら、いつか村の役にたてるようにと、手を振りながら旅立った女学生が、だれより力強く見えたのは、私だけだろうか。良い家に住み、高級外車に乗り、高等教育を受け、美味しいものを食べ、いつでも行きたいところへ行ける…確かに誰もがそういう生活を望むだろう。でも、そういう生活に慣れた人間が全ての富を失ったとき、一体何が残るのだろうか?人間はいつでも、乞食になることもできる、王様になることもできる。その境界線は物質ではないと私は信じている。「人のために」と学びの門を目指した貧農の娘こそ、誰より王女のような境涯だと、私は深く確信している。

11: 2005年ごあいさつ

(2005年1月5日記)『つぶやき』ファンの皆様、新年あけましておめでとうございます!昨年は無事に協会の一周年を迎えることができ、また新たに会員として入会を希望する方も増え、日本へ興味を抱くハンガリーの高校生をはじめ、日本国内では大阪、静岡、東京在住の方々からも協会への問い合わせや応援のエールを頂戴しました。本当にありがとうございます。ホームページのアクセス件数は、2004年5月の開設以来すでに30,000件を超え、思わぬ結果に驚きを感じると共に、これからも多くの皆様に信頼と友情の輪を拡げ行く活動を目指そうと決意を新たにした次第です。私と妻が任意団体として協会を設立してから今日まで、すべて手作りで諸行事の運営に当たって参りました。とくに設立より多くの友人、知人の方が真心と誠意で運営に携わって下さいました。その友情にどれほど救われ、またどれほど感謝したことか知れません。私共「北海道ハンガリー文化交流協会」は、殆どの運営費を自費で賄い、文化人や著名人が所属し、ある特定の地位にある方々が運営する他団体とは異なり、真の意味での草の根運動を目的に活動を行ってまいりました。そうした運営の中、ハンガリーを心から愛する皆様から多くの賛同を賜りました。心ある会員の方々が、協会の最も大切な宝であることを何より自負しております。また、協会の設立以来、暖かい声援を頂くと同時に、言い知れない悔しさや非礼を受けた事実もありました。
「演劇交流」を辞退なかでも「演劇交流」を辞退するまでの過程において、特に事務局運営に携わる妻の心労は計り知れないものでありました。交流辞退に際し、私自身、ショプロン市のシヴィタス地下劇場のコヴェシ・ジョルジュ氏より厚い友情と励ましの言葉を賜り、再び原点に立ち返って協会の運営に当たることを決意した次第です。組織運営というものの難しさか、我々がありに無知なのか…傷つくことも多々あったと同時に、苦い経験から多くを学ぶ結果となりました。 「忘恩の輩は卑怯。小さな人間を相手にするより、自身の大願に立つべき」とは、妻の恩師の一言。心ある多くの方々と共に、本年も充実した一年にして参りたいと思います。ハンガリー・北海道の演劇交流について2004年より、具体的に進行を開始しておりました札幌の劇団TPS「シアタープロジェクトさっぽろ」とハンガリーの劇団の交流ですが、TPSとブタペストのメルリン・シアターの交流が実現する運びとなったようです。当初、当協会が演劇交流を推進しようとしたきっかけは、「亀、もしくは…」というTPSの舞台を観劇する機会を得たことでした。 この作品は、ハンガリー人作家・カリンティの原作を斎藤歩さんが脚本、演出したものでした。観劇後、本協会代表ハンコ・ラスロは「亀、もしくは…」の脚本をハンガリー語に逆翻訳し、ハンガリーの劇団にも上演してもらいたいと考えました。そして、近い将来、札幌とハンガリーでそれぞれジョイント公演を実現できるよう、準備に取り掛かかっておりました。そこで、翻訳した脚本を読み、私共の申し出に快く応じて下さったのが、ショプロンにある「シヴィタス地下劇場」でした。この交流を大切にと交渉を進め、事前の交流訪問実現までこぎつけました。ですが、この訪問に際して、TPSより滞在費の全額(或いは一部)負担、通訳の確保などの要求があり、ハンガリー側の経済状況、また私共の道徳観に違う所が多く、差異を感じた私共は、この交流を辞退することを決めました。 当協会は翻訳した脚本、また交流を推進する上での諸費用に関し、全て無償で行ってまいりました。当然ながら翻訳した脚本はTPSの手へ渡すことはありませんでした。 当協会が辞退をした後も、シヴィタス地下劇場は、私たちへの友情の証として交流訪問を受け入れ、特別上演を行いTPSを歓待して下さいました。 しかし後日、シヴィタス地下劇場から、TPSとの交流を正式に断った旨の連絡がありました。 シヴィタス地下劇場は創立以来、一切の援助も受けず、その演技力と多彩な俳優の才能のみで劇団運営を行っています。激動の時代、上演中止の圧力にも屈することなく、常に民衆の声に応じ、上演を続けてきました。 今回、当協会はこの演劇交流から離れる結果となりましたが、何より嬉しいのは、シヴィタス地下劇場との深い友情の絆を得た事。チーフ・ディレクターのコヴェシ・ジョルジュ氏とは、現在も親交があります。いつか彼らの友情に応えることを次の夢として、これからも更に友情を深めて参ります。